苦労した体験(苦戦)is22 2回泣いた! |
結構多くのプロジェクトをこなした。苦労した事も!今でも鮮明に記憶に残っている。 |
【北陸シリーズ】・・・ちょっとした事で大問題 |
・伊藤忠の福井と金沢の営業所の話。福井は織物、金沢はニットが取扱の中心であった。当然加工がらみ。福井は地場の人達が多く、金沢はサラリー |
・マンが多かった。 現状調査・分析後、開発プロジェクトを任された。チームは4名、業務系は自分が、プログラムは仲間と一緒に開発した。 |
・システムは、IBM3790を使い、財軽は本社システムを直接利用し、営業・受渡は加工管理中心の契約・入出荷の対応、そんなシステム化であった。 |
・当時としては画期的なシステムであった。受渡の作業軽減と財経の管理レベルの向上・充実がネライでもあった。 |
・開発は順調に進み、7月に福井・金沢を同時にシステム実施した。仲間と一人ずつ営業所へサポートに行った。両営業所共、しばらくは順調に稼働した。 |
・半月も経った時、福井の受渡のチーム長に「契約バランスがおかしい」と言われた。(契約バランス=売り契約ー買い契約、相場のリスク管理で重要) |
・原因は直には解らなかった。金沢は何の問題もなかった。原因がやっと解った。加工取引の契約入力の仕方に問題があった。繊維の加工処理は |
・縦糸、横糸を使い、布を作る(一次加工)。その加工では縦糸・横糸と同一の材料を使う。その時の縦糸・横糸の消費率は当然違う。そんな契約の |
・修正箇所だけ問題が発生していたのだった。 |
・ 因みに3790の設計手法は直接key入力方式であった。幾つかの偶然から生まれたトラブルだった。 |
・修復対応は簡単だった。契約プログラムの修正でなく、契約時の対応を考慮すれば解決だった。(プログラムに係わった者はこの事を今も知らない!) |
・しばらくは、福井と金沢を行ったり来たり、完全に帰ったのは、有馬記念でベルモントが勝ち、仲間が儲かったと大騒ぎしていたのを覚えている。 |
★「システム作り」は、開発は当然、業務知識、ユーザの立場での作業の仕方、まで細心の注意が必要な事を痛感。 |
★「補足」画面への影響(レスポンス・電送スピード・競合等)に付いて、教えられたのもこのプロジェクトだった。 |
【輸出も個別損益管理】・・・現場で稼働しているはずが・・ |
・輸出取引は、売買差額で本当の損益は把握できない。輸出の諸経費が非常に多いからである。輸出取引の採算を把握しようというプロジェクト |
・開発は財務の輸出のオンラインdocumentシステム。システムの明細入力に切り替えるのが主な内容。開発には外注のプログラマーが一人が付いた。 |
・(この開発時、同時に別の案件も任された) |
・システムの実施は4月であった。プログラムを直し、テストする。結果はいつも正しくなかった。対応した中味に問題はないと思った。調べると、現場は |
・documetシステムは使っていたが、会計部分部分を自動連動するシステムは使っていなかった。(旧のシステムの一部を利用)。理由は言わず、 |
・上司に泣きを入れた、「ヤバイ!」と。軽く流された。そんな状況で4月が来、本番開始が開始された。 |
・ホントに地獄が始まった感じだった。昼は前日の財務のデータの修復調整を当日データで日計に入れ、夜はプログラムの修復に没頭した。データは |
・正常を維持できたので、決算等問題は発生しなかった。プログラムを修正・正常化出来たのは5月中旬だった。月間500時間以上も働いた。 |
・一段落した時、理由はともかく、部長に辞表を出した。部長から「山口、こんなの受理したら皆辞めなければならない!」と諭された。自然に涙が |
・出ていた。なぜだか解らないが・・。ボーナス時期が来た、ペナルティーを食らった。それだけだった。 |
・因みに働き過ぎの付けは、年末から一年程度体調不良という形で表れた。『これが一番苦しい開発だった』 |